水野和夫「人はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」日本経済新聞出版社
著者は、東京三菱UFJ銀行のエコノミスト。目先の市場動向の分析に追われるエコノミスト(と言うより、株式販売業者)としては、著者は異常なまでに良く勉強している。近年、優秀な哲学者として、哲学の専門研究者達の間で少しづつ読者層を拡大しつつあるテリー・イーグルトン等を、経済分析の合間に引用する点等、著者は、なかなか「クロウト好みの通」の分析家である。かつて、日本に初めてイーグルトンを翻訳紹介したグループの中に筆者も居た事があり、イーグルトンの原書の一字一句を見逃すまいと、慎重に読解して行った記憶が蘇える。こうした哲学をキチンと消化吸収している所に、「全ては、ロスチャイルドが決めている」等と言った脳軟化症のデマを垂れ流す陰謀論者達とは一線を画す、厳密な学問の健在さを感じる。
EU統合と通貨ユーロの先行の懸念材料として、「国家の枠が無くなった」ための、金融政策の手詰まり、が上げられる。
一例として、これまでは、米国の銀行金利を高く誘導し、日本国内の金利を低く誘導する事で、高い金利を求め、日本国内の資金は米国の銀行預金や債券等への投資に向かって来た。この日本からの豊富な資金流入により、米国は財政赤字と貿易赤字を埋め合わせ、日本は莫大な貿易黒字に対する米国の怒りを静め、「謝罪の代わり」として来た。
しかし、ユーロ通貨のように統一通貨と統一金利を創立すると、この金利政策が使えなくなる。景気の悪い地域では、低金利政策により資金が借りやすい状況を作り、景気を上昇させ、逆に、景気が過熱した地域では高い金利政策を取り、資金を借りにくくする事で、景気の過熱を冷やし、インフレの防止を行う。こうした地域ごとの景気状況に合わせた金融政策が、EU等の広域経済圏では取れなくなる。
景気の良いドイツに合わせ、ユーロ圏全体で高金利政策を採用すれば、景気の悪いイタリアでも高金利で資金が借りにくくなり、悪い景気がますます悪化する。
こうした問題は、国家の枠を無くし、EUのような広域経済圏を創立した場合に必ず起こって来る。現在、動き出したアメリカ=カナダ=メキシコの統一通貨制度の創立プラン、あるいはアジア統一通貨についても、こうしたアキレス健が必ず付きまとう。(注1)
しかし、これは、あくまで金利政策という「市場原理」の枠内での限界である。
先進国が採用してきたケインズ政策のように、「市場の失敗」は国家介入によって補う事が出来る。日本でも、豊かな地域から税金を取り、その税金で貧しい地域に道路建設等の公共事業を行い、貧しい地域の経済活性化を計って来た。これは市場原理ではなく、国家介入による再分配経済である。政治的には社会民主主義になる。EU議会の多数派が、社会民主主義政党である理由は、ここにある。
「現在は姿を見せていない」が、EUのような広域経済圏を創立した場合、地域ごとの金利政策が採用出来ないという「市場の失敗」は、強力な「中央集権国家」の管理体制、再分配経済により、補われる。市場原理から再分配経済=超中央集権への移行である。
世界帝国を目指すロックフェラー等が、南北アメリカ経済圏、アジア広域経済圏の形成を目指し、米国ではロックフェラーこそが社会民主主義=民主党を強く推進している理由は、ここにある。
目的は、世界帝国である。
ヨーロッパ中世社会には、ドイツ、フランスと言った国の枠が存在しなかった。ローマ・カトリック教会により、広域な世界が支配され、圧倒的多数の貧困層と、その貧困層を武力で押さえる極めて豊かな階層に、社会が2分されていた。2007年現在の、アルバイト、パート労働等の貧困層と、一部のエリート・サラリーマン、官僚、多国籍企業の経営者という豊かな社会階層の2分、ヨーロッパ、南北アメリカ、アジアという広域経済圏=広域国家の出現、そして、やがて来るべき広域国家の、武力による貧困層の「鎮圧・支配」という事態は、暗黒のヨーロッパ中世の再現ではないのか、という疑念が語られ始めている。(注2)
EU統合、南北アメリカ、アジア経済圏と言った「未来を予測」するため、にわかに中世ヨーロッパ社会の研究が脚光を浴び始める。歴史から「学ぶ」ためである。
博識な著者は、ここで歴史家フェルナン・ブローデルの地中海研究を取り上げる。地中海沿岸地域全体を、1つの政治・経済共同体として分析する労作である。ブローデルは、明らかに、EUの未来を懸念して、地中海研究を行っている。著者は、歴史家ブローデルの歴史分析のメソッドとなっている、エマニュエル・ウォーラースティンの史的システム理論も消化吸収している。大変な博識である。
近代社会では、全てが経済主導で動いている。そのため、経済システムを基本として、その変動により歴史が動いて来た、という歴史分析の方法が、かつては主流を占めていた(経済決定論)。しかし、イタリアのアントニオ・グラムシは、歴史ブロック理論により、政治・経済・法律・文化等が各々、独立して変動しながら、相互に影響を与え、歴史が変動して行くと考え、経済決定論を否定した。構造主義言語学を用いたフランスのルイ・アルチュセールが、グラムシ理論を精密化し、政治・経済・法律・文化が重層的に重なり合いながら相互規程しているとして、重層決定論を展開した。その後、構造主義言語学の欠点であるスタティック(静的)な認識を超えるため、歴史の動きを導入し、アルチュセール理論をウォーラースティンが進化させ、史的システム理論を作り上げる。
ウォーラースティン理論により、国家の枠を超えて、ブローデルは、地中海世界全体の政治・経済・法律・文化の歴史変化を動態的に記述する事が可能となった。
しかし、ウォーラースティンにも限界がある。
歴史は、どのようにして動くのか。時間は、どのようにして歴史と時代を動かすのか。
仮に、日本と朝鮮半島が敵対関係にあったとして、日本のある美食家がキムチ料理の美味に気付き、その美味を日本に導入する(私的次元)。その美味の認識は、やがて日本全体に広がり、日本に朝鮮半島文化への愛着と、好意が拡大する(社会的次元)。日本政府が、朝鮮半島への敵対政策を取ろうとすると、それは日本国民全体の朝鮮半島文化への愛着という国民感情に反する形となり、敵対ではなく友好関係を築く政策を採用する政党に国民の支持が集まり始める(政治史の次元)。(注3)
壮大な歴史を動かしているのは、私人が毎日繰り返している、衣食住である。この民衆史が、日々の積み重ねにより、社会全体の動きを形成し(社会史)、やがて政治的な大変化を引き起こす(政治史)。
時間と歴史を動かしているのは、ジュリアス・シーザーでも、ロックフェラーでもなく、無名の民衆の日々の衣食住の小さな変化の累積である。
ウォーラースティンでは、この歴史と時間を動かしている主体が見えて来ない。
この私人と私人同士の社会には、国家と政治が全てを支配しようとして、どうしても支配し切れない、私人と私人の「横のつながり」がある。ロックフェラー帝国が、どうしても支配出来ない、ロックフェラー帝国への「抵抗線」が、ここにある。この民衆史、社会史は、まだ研究が始まったばかりである。
本書の著者は、ウォーラースティンとブローデルの次元に止まっている。しかし、ローマ・カトリック帝国に支配された中世の庶民は、決して帝国に支配されない自律領域を維持し続けた。その自律領域は、やがて自分達の「人間としての権利」を求め、ローマ・カトリック帝国を打倒する。その起爆点が見えれば、やがて成立するロックフェラー帝国打倒の起爆点が、見えて来る事になる。
※注1・・ここに示される、「金利政策とは国家の壁そのものである」という、著者の認識は秀逸である。
注2・・田中明彦「新しい中世」日本経済新聞出版社
注3・・この点については、社会史の理論家ビエール・ブルデューの「ハビィタス、プラティック」概念を援用した。


