1944年7月20日、天皇の東条英機あての勅語。
「あなたは(東条は)、朕(天皇)の行う戦争において、朕の指導の下に十分職務を果たした。」・・()内部、筆者の注。
ここで天皇自身「が」主体となって戦争を行っている事、つまり軍部に引きづられて戦争が行われているのでは無い事、東条が「天皇の指導の下」にその命令通りに戦争を行って来た事を、天皇自身が証言している。
天皇は、自分の行った戦争の責任を全て東条に押し付け、東条を処刑させ、自分だけ生き延びたのである。天皇は極めて悪質な卑怯者である。
戦争中、東条は1日に3回天皇を「御機嫌うかがい」のため訪問し、政界では「ゴマすり東条」と批判されていた。東条を始めとした政界軍部が「強引に戦争を行い」、天皇がそれに引きづられる等という事は、この東条と天皇の「力関係」から見て有り得ない。天皇は東条に全責任を押し付け、自分だけ生き延びたのである。