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2007年05月30日

天皇廃止の戦略・・・原始天皇制の祖形

 



密儀として、公開されていない天皇の即位儀礼である大嘗祭を構造分析すると、天皇制の起源が女性を中心とした女権社会であった事が分かる。

天皇の即位儀礼では上座と下座に座布団が敷かれ、上座は空位=無人、下座に新規に即位する天皇が土下座して座る。これは天皇より「地位の高い者」がいた事を示している。

しかも上座が空位である事は、天皇がその上座の者を「無き者」にして、権力の地位を奪った事を示している。儀礼が進むと天皇とこの上座の者が、共にたどたどしいダンスのような踊りを踊る所作が行われる。その動作は腰を上下させ、明らかにセックスを意味している。天皇は男性であり、その相手の空位とされた者が女性である事が分かる。しかも性交渉の儀礼から、天皇とこの相手の女性が夫婦であった事が分かる。

女性が権力者であり、神に取り憑かれ口寄せ=意味不明の「神の言語」を語る。

そのシャーマン=神子(みこ)の傍らにいる夫が、その「お告げ」を分かりやすい言葉に翻訳して民衆に伝授する。

夫なのだから妻の言いたい事は以心伝心で分かる。つまり、典型的なシャーマニズムが天皇制の核心にある。


 しかし、やがて権力欲に取り付かれた男が、シャーマンである妻の言葉を自分に都合の良い形に「置き換え」て語り、自分が権力者となった。

女権社会の終わりと男性中心主義の始まりである。

シャーマンとしての「能力が全く無い」男性、権力を持つ資格の無い無能な男性が、権力欲から支配者の地位を奪ったクーデター。無能と無資格、権力欲だけのクーデター。その事実を「ひた隠し」にするため、天皇の即位儀礼はタブーとして誰にも見る事を許可されずに来た。


このシャーマニズムは、社会福祉システムであった。

いつの時代にも、どの村落にも身体や精神に障害を持つ者はいた。農業の労働力としては「役に立たない」そうした人材は、現代のような社会福祉システム等ない時代には餓死するしか無かった。

しかし、そうした労働力としては「死んだ」=社会的存在としては「抹殺」され、生きる場所を失った人材を神として「祭る」習慣があった。

農民は、家と田畑の間を行き来する毎日の狭い世界に住んでいた。しかし障害者達は、農作業を行わず、1日中、田畑の外縁にある野山を歩き回り、放浪していた。川の増水、渇水、土砂崩れ等、自然災害の予兆を一番最初に知る事になるのは障害者であった。障害者達は、そうした増水、渇水が農作物の枯れ死、洪水につながる、あるいは土砂崩れが農民の家屋を飲み込む災害になる等と論理的に判断したのではない。「いつもと違う」事に強い不安感を持ち、パニックになり暴れたのである。農民達はそれを「神のお告げ」と考えた。

農作業をやめ、農民総出で山河の点検に乗り出した。すると必ず河川の増水、渇水、土砂崩れ等、農作物等に甚大な影響の有る、農民にとって死活問題となる異変が発見され、危機は未然に回避された。

「神の予言が的中し、農民の命が救われた」のである。

農民達は、こうしたシャーマンを神と考え、障害者の住む家を神社として建設し、食事を多目に作り、「神への捧げ物」として定期的に神社に供えた。障害者達はそれを食べ、人生を送った。

古事記等の有史のはるか以前から続いて来た日本的社会福祉システムである。

農家の若者、青年達は、婚姻適齢期の前、深夜この神社に「夜這い」を行い、障害者の女性を強姦した。青年達が農家の「正常な娘達」に対し、強姦事件を起こさせないための「治安装置」であった。

村外からの旅人も神社に宿泊し、供え物を食べ、障害者を強姦した。
部外者が農村に侵入し、食料と女性を探し犯罪を行う事が無いようにするための「防波堤」であった。

農民達は自分達の「身の安全」のために、障害者達に「人身御供、売春業」のような事実上の差別と「卑業」を強制した。そのような差別により、農村の防犯と家庭生活の安全、部外者の侵入の阻止=社会のコミュニケーション過程の円滑化が得られた。

拙稿「現代ビジネスは・・」で記載したように、キリスト教においてイエス・キリストが社会全体から虐げられ、排除され、最後は十字架で「死に」、「無実の人間を殺した」という民衆の罪悪感をテコに、「あなた達は罪人である隣人を愛しなさい」と、絶対的権力者として復活命令する、その構造と同一のものが天皇制の根源にある。

農村内部の治安維持のため(農民男性は全員、強姦犯人として障害者に対し一生罪悪感を持ち続ける)、また農村の外とのコミュニケーション過程の円滑化のため、障害者達を「虐げ、卑業」を強制し、労働力としては「死んだ」ものとされた障害者が、「神」として絶対的権力者として復活する。

ここには、キリスト教と全く同一の原理がある。

このシャーマンにより、農村内部の争い事は調停され(裁判機能)、豊作の農家から不作の農家への農作物の分配が「命令」される。人間と物質の交流(コミュニケーション)過程が円滑化される。

差別され、虐げられ、抹殺された者が、絶対的権力者として復活し、社会全体のコミュニケーション過程を円滑に司るのである。この世界各地に原型として偏在した、シャーマニズムの原理を「定式化」して見せたものがキリスト教であり、

既に存在した各地のシャーマニズムに「上書き」する形でキリスト教は広まった。キリスト教が世界宗教となった理由はそこにある。
 
このキリスト教の「焼き直し、リメイク」である市場経済が、明治維新以降、日本に定着させられる過程で、天皇制がその推進力となったのは、天皇制の根源にあるシャーマニズムから市場経済そのものが生み出されていたためである。根源は同一であった。

現代社会は、まだ有史以前からのこのシャーマニズムの中で生きている。

根源には障害者への暴力があり、暴力を振るった者の罪の意識があり、その罪の意識に突け込み、暴力を振るわれた者の怨念が強大な絶対的権力として「有無を言わせず」復活する。それがシャーマニズムである。



拙稿「会社で働かなくても・・」で記載したように、現代社会においては、アルバイトという低賃金を強制する暴力が振るわれる。暴力を受けた側には低賃金 =小さな購買力という「怨念」が残る。

暴力を振るった側には「罪の意識」の痕跡として過剰生産物=低い賃金=低い購買力の結果の売れ残りが蓄積される。

この低い購買力という「怨念」が、「より大きな購買力を」という形で爆発し「罪の意識の処理=罪滅ぼし」=在庫処理に結び付くと、「絶対的権力、暴力」の発動=戦争が起こる。

キリスト教ヨーロッパ中世を克服したはずの市場経済も、キリスト教と同一原理で動いてきた。今後、市場経済の欠陥を克服したつもりで新たなシステムを形成しても、根源にあるシャーマニズムを克服しない限り、中世の魔女狩りに代わり、近代の世界大戦が生み出されたように、また新たな別の暴力装置が発生するだけである。

シャーマニズム、キリスト教、天皇制、市場経済に共通する暴力のメカニズムを解体する作業が必要になる。



posted by 00 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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