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2019年09月30日

侵略戦争としての通商交渉・・USTR米国通商代表の発端

 「武器としての食糧」・・それが戦後一貫して米国の取ってきた国策である。
他国の食糧を米国からの供給に依存させる政策を取り、万一米国に反旗を翻した場合には食糧供給を止め兵糧攻めにする。「従順に米国の支配に従うようにさせる」心理戦争の武器として食糧を使う、兵器としての食糧。それが米国の食糧戦略である。

 日米自動車摩擦、日本に対する食糧、コメの輸入自由化の圧力の最前線に居るUSTR米国通商代表は、1962年、米国で制定された通商拡大法によって初めて設置された(それ以前には存在しなかった)。

 当初はSTRと呼ばれたこの組織は、日本に対しては60年代に改定された第二次日米安全保障条約、いわゆる新安保条約の第2条によって交渉の窓口に指定された。
注意すべきは軍事条約によってUSTRが対日の交渉機関として設置されている点である。輸出問題、食糧問題があくまで軍事問題として議論のテーマとなっているのである。

 元々USTRの組織を構想したのはケネディの次席大統領補佐官マイク・ラシシュであり、ラシシュはミサイル財団でもあるメロン財閥の代理人としてケネディの側近となっていた。
後にメロンの運営するヘリテージ財団がリチャード・パールと共に、現在のパトリオット迎撃ミサイルシステムの原型を作り上げる事になる。

 当時、米国共和党内部には「イスラエル研究会」という政策グループが形成されていた。パレスチナに住むアラブ人の土地を軍事力で奪い建国されたイスラエルを支持し、イスラエルを維持するために米国製兵器を大量にイスラエルに輸出するグループであり、実態は軍事産業の代理人組織であった。

 この「イスラエル研究会」を主催していたのがラシシュの所属するメロン財閥であった。この「イスラエル研究会」が後にヘリテージ財団に発展する。ラシシュを始めとした、イスラエルに兵器を大量に輸出しパレスチナ戦争を拡大させていた武器商人達が、USTRの発案者達であった。

 この発案を具体化させたのが当時のクリスチャン・ハーター国務長官であった。ハーターの義理の父親チャールズ・プラットは、ロックフェラーと共にスタンダード石油を経営する人物であり、ハーターは生粋のロックフェラー人脈の
人物である。ハーターを補佐しUSTRを作り出した国務次官がダグラス・ディロン、銀行ディロン・リードの経営者である。

 第一次日米安保条約を策定し、日本に米軍を常駐させ、自衛隊で日本を再武装させたジェームズ・フォレスタル国務長官(ディロン社長)、
ウィリアム・ドレーパー陸軍次官(ディロン副社長)、
ポール・ニッツ国務省貿易次長(ディロン営業マン)
の全員がディロンの経営陣であった。

 日本の軍事大国化を決定付けたのがディロンであり、ディロンの親会社がブッシュ一族の経営する軍事産業専門の投資ファンド、カーライルであった。
 日本再軍備の名目は「共産主義中国の脅威に対抗するため」であったが、中国に大量の兵器を輸出し続けてきたウィリアム・ペリー(クリントン大統領の国防長官)は、ディロンの社長・会長であった。

 中国の軍事的脅威を作り出したディロン、それに対抗するため日本を再武装させ、自衛隊の装備・兵器を大量に輸出した軍事屋ディロンがUSTRを創立していた(現在パトリオットミサイルを日本に売り込んでいるのもこのペリー=ディロンである)。創立当初のUSTRの通商交渉は、通称ディロン・ラウンドと呼ばれている。

 創立当初のUSTRの代理人として、ハーター国務長官に命じられアジア各国を飛び回ったのが黒船ペリーの一族の末裔、マトソン汽船経営者ウィリアム・マトソン・ロスであった。黒船は現在も日本に「開国」を迫っている事になる。

 USTR、そして戦後の米国の対日・通商政策は、商業とは何の関係もない軍人と軍事産業、そして軍事条約によって形成されてきた。通商交渉の本質が軍事問題、兵器輸出問題であった事をUSTRの出自が示していた。



posted by 00 at 11:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする